STORY

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汚部屋じゃないけど片づけたい!

部屋は、散らかっていないつもりでした。

でも洗面所には、気づけばモノが増えていて、
夫に「収納に収まるだけにしてくれる?」と軽く言われることも。

来客前には、クローゼットにモノを押し込み、
扉の向こうには、見て見ぬふりをしていた洋服の山。

「子育て中なんだから、これで普通」
「まあまあ整ってる方でしょ」
そんなふうに、自分をなだめながら過ごしていました。

服を買うときも、
“これが本当に好きか?”
“私に似合うか?”
“今の暮らしに合っているか?
そんな問いかけをすっ飛ばして選んでいたので、
気づけば、あまり着ない服ばかり。

“わたしらしさ”が見当たらないクローゼットを前に
「服はあるのに着る服がない」が口癖でした。

なんとなく毎日をこなしていたけれど、
モノも時間も、“ちょうどいい”という感覚からズレていた。

いま思えば、
“自分の感覚”の乱れを何とかしたくて
片づけたい!という欲求が生まれていたのかもしれません。

こんまり®流片づけとの出逢い

2011年、母から「ときめきで片づける人、知ってる?」と聞かれ、近藤麻理恵さんのことを知りました。

その数日後、偶然テレビで片づけレッスンの様子を見て、衝撃を受けました。
片づけ終わった部屋にはモノ一つひとつの存在感があって、
依頼者の姿が「本来の自分」に戻っているように見えたんです。

「もし私がこの片づけをしたら、今のモヤモヤが晴れるかもしれない」
そう思って、本を手に取り、片づけを始めました。

当時は長男3歳・長女1歳。24時間子どもと一緒の毎日。
でも、夜中に夢中で片づける日々が、3ヶ月も続きました。

本に書かれていた手順をそのまま実践すると、
「ときめき」という感覚は意外とすんなりわかりました。
ただ、頭で考えることと、実際に感じることの間にズレがあって、
「この感覚だけを頼りにして大丈夫かな…?」と、何度も不安になりました。

たとえば、布オムツ。

赤ちゃんにもいいし、家族も喜んでくれていたので、
ときめくはずだと思っていました。

でも、手に取ってみると、
心が重くなる感じがしました。

祖母や母の顔が浮かんで、少しドキッとしたけれど、
「やめたい」と伝えて手放したとき、
重かった心が、ふっと軽くなりました。

逆のパターンもありました。
手放そうとしていた3年育児日記。
白紙のページに罪悪感があって、なかったことにしたいと思っていました。

でも、ページをめくってみたら、
未熟な自分が、ちゃんと子どもと向き合ってきた時間が残っていて。
心が温まるような感覚になったのを覚えています。

モノに触れたときの身体の感覚と、頭で考えていた「正しさ」は、
こんなにも違うんだと、初めて知りました。

それが、“自分で選ぶ”ということのはじまりでした。

「母」「妻」という役割を超えて

「母ならこうするよね」
「妻として当然だよね」
私はずっと、そんな“外の価値観”を優先して、毎日を回していました。

でも、片づけを通してモノと向き合い続けた結果、
「これは好き」「これはもう手放していい」
といった具合に”ときめきセンサー”が反応するようになりました。

ときめきセンサーは、モノだけでなく暮らしかたの選択にも反応します。

たとえば、ミュージカル出演。
ずっとやってみたかったけれど、子育て中の自分には無理だと、挑戦すらしていませんでした。
時間もお金もかかるし、世間の目にはワガママに映るかもしれないと、気持ちにフタをしていたんです。

「やってみたいな」という気持ちを自覚したタイミングと同じ頃、夫の転勤が決まりました。
実家の近くで暮らせることになり、子どもを預けられる環境と、ミュージカル公演の開催場所への好アクセスという条件が整ってしまい驚きました。

まるで「あなた、やってみる?」と神様が差し出しているかのようでした。

「やってみたい」という自分の気持ちに素直に動いた時の、少し怖いけれど満たされるような感覚は、いまでも私の輪郭を支えてくれています。


母として、妻として。
これらに正解があるのではなく、「どんな私としてその役割を生きるのか」という一つの問いから答えを出せるのです。

家族のときめきと共に暮らす

2013年に第3子が生まれてから、片づけに手が回らない日が増えました。
「子どもの好奇心が育っている証拠」と前向きに捉えようとしてみても、乱雑になっていく部屋に「これが本当に送りたい暮らしだろうか?」という違和感がふくらんでいきました。

自力での片づけに限界を感じ、講座を受講して片づけ祭りを最初からやり直すことに。

そこで気づいたのは、いつの間にか「ときめき」より「スッキリ」に偏っていたこと。
あらためて自分の理想を掘り下げていくと、「家族に笑顔を向けられる心の余裕がほしい」という思いにたどりつきました。

家が整っていてほしい。
ひとり時間がほしい。
その奥にあったのは、
家族と暮らせる喜びをたくさん感じたいから──

その本音に気づいたことで「もう減らすモノはない」と思っていたにもかかわらず、さらに自分の持ち物の4分の1を手放しました。

さらに驚いたことに、そんな私の様子を見て、長男と娘が「片づけやってみたい」と言い出したんです。
一緒に衣類の全出しをして、初めての“親子の片づけ祭り”がはじまりました。

でも実は、私は戸惑いっぱなしでした。
迷いなくときめきで選ぶ子どもたちに、私のほうがついていけなかったのです。

たとえば、親戚から頂いた高価なおもちゃ。
ときめかないと言われた瞬間、私は「え?それ、ときめかないの!?」と驚きとともに、思わず圧をかけてしまいました。

娘の表情が曇ったのを見て、ハッとしました。
「○○ちゃんはときめかないんだよね。お母さんが勝手にびっくりしちゃっただけ」と慌ててフォローしたのを覚えています。

命に関わることじゃないのだから、持ち物くらい、子ども自身のときめき100%で選ばせてみよう。

そう決めてみると、子どもたちは生き生きとときめきを語ってくれるようになり、片づけの時間が“ときめきを尊重し合うあたたかな時間”になっていきました。

片づけコンサルタントになった”理由じゃない理由”

私には片づけたことで確かに人生が良くなった手応えのようなものがありました。
うまく説明できないけれど、「片づける前の私に戻りたいか?」と聞かれたら、迷わず「今の方がいい」と言える。

これを誰かと共有したい。
私と同じような感覚を味わってみてほしい。

そんな気持ちが次第に大きくなっていきました。

しかし「片づけを仕事にするなんて、ちょっと宗教っぽくない?」
これが当時の私の周りの人のリアクション。

「片づけ=誰でもやる家事の一部」という認識が当たり前の人には、そう感じられるのも当然だと思います。


だからこそ、コンサルタント養成講座の受講料を見たとき、私は正直ひるみました。
自分では出せない金額で、夫にお願いするというハードルも大きかった。

「子育てと両立できるのか」
「本当に仕事にできるの?」
そんな不安もずっとありました。

でも、ある日、当時小学3年生の娘に、ふいにこう聞かれたんです。
「お母さんは、いま何にときめくの?」

突然の質問にびっくりして、頭が真っ白になった私は、思わずこう答えました。
「え、えっと…お母さんは、いま、片づけの仕事がしたい。それができたら、ときめくかな」

本音がポロっと出た瞬間、
「娘に言ったからには、やるしかないよね」
と後に引けなくなった私は、
娘に背中を押される形でコンサルタントを目指すことになったのです。

ときめく暮らしをあなたにも

片づけをすると、たびたび恥ずかしさに出会います。

なぜこれを買ったのか。
どうして、ここまで放っておいたのか。

そのときの自分の選択や感情を、
あらためて見つめることになるからです。

ときには、浅はかだったなと思うこともあるし、
思い出したくなかった記憶がふいによみがえることもある。

でも私は、
そうした過去と丁寧に向き合うことが、
整っていくプロセスなんじゃないかなと思います。

整っている、というのは、
「いつも完璧」な状態のことじゃない。

自分のアンテナが、いま何を感じ取っているのかに気づけて、
それが本当に望んでいることなのかを、澄んだ心で問い直せること。

それを繰り返すことで、
少しずつ、自分の選択に対して信頼が持てるようになること。


どれを残して、どれを手放すか。
何が大事で、何がもう要らないのか。
小さな決断を、何度も、何度も繰り返す。

そうして出来上がる空間こそ、
自分の価値観で選んだモノだけが残った
ときめくお部屋なのだと思います。


あなたも、自分だけの「片づけ物語」を
はじめてみませんか。